この人の暮らし方
ひとまず小さな長屋暮らしから
生まれは茨城、大学は千葉、最初の職場は東京。根っからの関東人の竹村光雄さんが仕事で訪れた長浜への移住を決めたのは2012年のことだ。
そのわけは、長浜の駅前一帯、いわゆる中心市街地の景観に理想のすまいの形を見たから。「町家の風情が大好きなんです」と竹村さんは言う。中心市街地はかつて豊臣秀吉が城下町として整備し、町人のまちとして栄えた界隈で、確かに古い商家が点々と残り、細い路地が入り組んでいる。
そもそも「町家」ってなんだろう。調べると「町の中の家」だとか「農家に対し商業や工業を営むための都市住宅」などとある。通りに対して間口が狭く、玄関から奥へ奥へ部屋が続く。ときには中庭や、いちばん奥の裏口を出ると洗いものが出来る水路がある。いわゆる「うなぎの寝床」だ。
「アジアやヨーロッパにも町家があるんです。家の前の通りに洗濯物がひるがえり、たまにそこでご飯の支度をしていているというような風景がある」
大学で建築を専攻していた竹村さん。都市計画コンサルタント会社勤務を経て、現在長浜の中心市街地活性化をめざすまちづくり会社で働く。居住者の流出が進み、増えてしまった空き家の活用法を探るのも仕事のひとつ。そのなかには町家だっていっぱいある。竹村さんはいつも楽しそうに仕事をしている。
「古い家を見せてもらうとね、家とまちの記憶が見えてくるような気がするんです」
大学の後輩だった美穂さんと結婚を決め、2013年から長浜で一緒に暮らし始めた。中心市街地にある昭和初期に建てられた木造2階建ての長屋建てのお宅は、15年ほど前にこざっぱりとリフォームされていた。工務店を営む友人と相談し、床のフローリングを無垢材に変え、1階、2階ともに壁を抜き窓を大きくしてたくさんの光が入るようにしてもらった。
室内の壁塗りや、棚を備えつけるなど細々した内装は夫婦で進めた。建築の知識が備わっているうえに、「住まい方についての価値観が似ている」2人は強力なのだ。
「明るく開放的になったこの家のことはとても気にいっているんですが、仮住まいの気持ちでいるんです」
そう、理想は町家に住むことだから。
町家を愛するゆえんを「町家の風情に、生活がまちにあふれている様子を感じるから」だと説明する。
そういえば竹村さんはこのまちに住み始めてすぐ、長浜の町人文化の象徴ともいえる「長浜曳山まつり」の山組の若衆入りをし、まつりを支える一員となった。
くらしがまちを彩り、まちがくらしをかたどっていく。竹村さんはそんなまちと一緒に呼吸していきたいのだな、と思う。それがこのまちにはあるのだな、とも。
何より、夫婦が同じような思いを抱いているなんて最強だ。
“仮住まい”生活だって上々だ。ふたりの時間は始まったばかり。そしてたっぷりとある。
「裏口から水路に降りて、魚が泳いでいるのを眺めるような暮らしがいいな」
いつかは。